愛宕山から見た四国中央市方面の風景
真鍋安次胸像ミニ公園(切山休憩所)
愛宕山から見た瀬戸内海に沈む夕日
切山は愛媛県の最東部に位置し、香川県と県境にあります。市街地から奥に入った海抜300メートルの山あいや丘に26戸が散在しています。
切山には平家伝説が残されていて、それに関わるたくさんの遺跡が現存しています。ひと昔前まで交通が不便でしたが、県道9号線(県道川之江大野原線)が開通して以来、人の往き来が盛んとなりました。
そのため、畜産と養鶏が主産業となりながら四国中央市内に働きに行く人も増えています。
*昭和29年には川之江市が誕生し、初代の市長に当地切山出身の真鍋安次氏が就任して、川之江市の基礎づくりや切山の過疎対策にも取り組まれました。
*昭和52年には切山平家遺跡保存会が結成され、平家遺跡の保存や補修などの活動が続けられております。
*平成8年4月には真鍋安次先生胸像氏ミニ公園ができたり、愛宕山に桜公園がつくられ桜祭りが開かれるようになりました。
*また、毎月第二日曜日の午前中には「切山にこにこ市」が開かれ、町から大勢の人が来られるようになりました。
*平成29年3月には、切山にG.B.C KIRIYAMA BASE(コーヒー,チョコレート、爆ドーナツなど)が開店して、遠方よりたくさんのお客様が来られるようになりました。
*平成30年8月、切山の情報を外部に発信するために、フェイスブックとホームページを開設することになりました。
その結果、切山の情報を多くの人に知らせることができるようになりました。
*平成30年12月末、切山自治会(参鍋修一、会長)で、切山休憩所にイルミネーションを設置しました。切山の山中に色とりどりの光が輝き、とてもきれいでした。
*平成31年4月13日には、以前、切山自治会に多大の援助をしていただいた土釜惟次様(東京都、弁護士)の歓迎会を切山集会所で行いました。
重文真鍋家に現存する「田辺家系譜」によりますと、源平屋島の戦い少し前の元禄元年(1184年)6月、安徳天皇をより安全な地に移すために阿波から山伝いに伊予の切山に潜入し、文治元年(1185年)正月までの半年間切山に隠れ住んでいました。
その時守護に当たったのは、五士の田辺太郎・平清国、真鍋次郎・平清房、参鍋三郎・平清国、間部藤九郎・平清重、伊藤清左衛門国久で、今日の切山の先祖に当たると言われています。
その頃、屋島では決戦を前に安徳帝を長門に移すことになり、平知盛、平教盛らが切山に幼帝を迎えに来られました。
切山で守護に当たっていた五士は、讃岐の須田の浦まで見送りに行きましたが、阿波の田口氏がねがえったことを風聞したので、田内氏を倒そうと阿波に出向いて戦いましたが、戦いにやぶれて命からがら切山に引き上げて来ました。
そして、代々この地に住みつき、切山の開拓者の人となっていったということです。
安徳天皇行在所
安徳の窪
紅葉した秋の切山
10月から秋の紅葉が始まります。
山全体が紅葉し、とても美しい風景となります。
その時々によって、紅葉の色合いを楽しめる事ができます。
是非、秋には切山にお越し下さい。
切山平家遺跡保存会
毎年、6月に切山遺跡保存会の総会が切山集会所で行われます。
会員の方が出席されて、今年度の取り組みなどについての報告があります。
また、会員の親睦も兼ねて行われます。
切山にこにこ市
毎月第二日曜日に「切山にこにこ市」が行われます。
串焼き、野菜、卵、コーヒー、ドーナツ、手作り菓子などの販売が行われます。
町から大勢の人が楽しみにやって来られます。